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ゴルバチョフ

2015年放送 冷戦終結 首脳 たちの交渉 ゴルバチョフ が語る 舞台裏

2015年放送
冷戦終結
首脳 たちの交渉
ゴルバチョフ が語る 舞台裏

**2015年放送「冷戦終結 首脳たちの交渉――ゴルバチョフが語る舞台裏」**
は、冷戦がどのように終わったのか

を、当事者だったミハイル・ゴルバチョフの証言
から振り返る内容です。

最大のポイント

冷戦終結は、単純に

「アメリカがソ連に勝った」

という話ではありません。

むしろ、

「核戦争を避けるため、
敵だった米ソの指導者
が、対話と交渉によって
対立の構造そのものを変えていった」

という側面があります。

① ゴルバチョフの登場

1985年、ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任。

ソ連は、

経済の停滞

軍事費の負担

アフガニスタン戦争

西側との軍拡競争

などで大きな問題を抱えていました。

そこでゴルバチョフは、

ペレストロイカ=立て直し

グラスノスチ=情報公開

を進めます。

そして重要だったのが、

「アメリカとの対立を続けるだけではソ連も世界も持たない」

という発想でした。

② レーガンとの関係

当初、ゴルバチョフとロナルド・レーガン
は完全な敵同士でした。

ところが首脳会談を重ねる中で、
二人の関係が変化します。

特に重要なのが、

1986年・レイキャビク首脳会談。

ここでは核兵器を大幅に削減する構想
が、一気に現実味を帯びました。

最終的には合意できませんでしたが、

「核兵器を減らす」という考えそのもの
が、米ソ首脳の間で具体的な議論になった

ことが大きな意味を持ちます。

③ 「共通の安全」という発想

ゴルバチョフが重視したのが、

安全保障を「相手より強くなること」だけで考えない

という発想でした。

相手を恐れて軍備を増やす。

相手も軍備を増やす。

さらに恐怖が強くなる。

軍拡競争が続く。

この悪循環を、

「相手も安全でなければ、自分も安全ではない」

という考え方に変えていこうとしたわけです。

④ 1989年 マルタ会談

そして決定的なのが、

1989年12月、マルタ島。

ゴルバチョフとジョージ・H・W・ブッシュが会談。

ここで米ソ両国は、長く続いた対立
を終わらせる方向を確認します。

その直前には、

ベルリンの壁が崩壊。

東欧では次々と民主化が進んでいました。

しかしゴルバチョフは、
ソ連軍を使って東欧の変化を武力で押さえ込む
ことをしませんでした。

ここが非常に重要です。

ゴルバチョフが語る「舞台裏」の核心

冷戦終結を理解する上で面白いのは、

歴史は「大きな出来事」だけで動いたのではない

ということです。

首脳同士が、

「相手は本当に何を考えているのか?」

「ここまで譲歩しても大丈夫なのか?」

「核戦争を避けるにはどうすればいいのか?」

と何度も探り合った。

その積み重ねが、

敵対 → 対話 → 信頼 → 軍縮 → 冷戦終結

につながっていきました。

そしてゴルバチョフの経験から見えてくるのは、

「敵を倒す」ことだけが勝利ではない。
「敵と一緒に、敵対そのものを終わらせる」ことも勝利である。

ということです。

これは、非暴力・対話・トンレンなど
とも、かなり面白くつながるテーマです。

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米ソ冷戦を終わらせる ゴルバチョフ の宣言 「50万人の兵士を削減 通常兵器も減らします」 ペレストロイカ (立て直し) 民主化の波を巻き起こす 自由と民主化を鼓舞する歌が生まれた バンド キノー 「変化を」 ゴルバチョフ が目指したのは あくまで 社会主義体制を維持したまま 民主化を進めることだった 国民と交わることをこばまず 威厳にこだわらない 秘密主義を撤廃し 国民の知る権利を進めた 中距離核ミサイル全廃条約 ソ連軍アフガニスタン 撤退 自由選挙 民主化をやめてはいけないと言い 大統領を降りた

米ソ冷戦を終わらせる ゴルバチョフ の宣言
「50万人の兵士を削減
通常兵器も減らします」
ペレストロイカ (立て直し)
民主化の波を巻き起こす
自由と民主化を鼓舞する歌が生まれた
バンド キノー
「変化を」
ゴルバチョフ が目指したのは
あくまで 社会主義体制を維持したまま
民主化を進めることだった
国民と交わることをこばまず
威厳にこだわらない
秘密主義を撤廃し
国民の知る権利を進めた
中距離核ミサイル全廃条約
ソ連軍アフガニスタン 撤退
自由選挙
民主化をやめてはいけないと言い
大統領を降りた

この流れは、ミハイル・ゴルバチョフが進めた改革
と、その理想・限界をよく表しています。

1. 軍縮宣言 ― 冷戦終結への大きな転換

1988年、ゴルバチョフは国連で、

ソ連軍を約50万人削減

戦車や通常兵器も大幅削減
すると発表しました。

これは「軍事競争よりも国民生活を優先する」
という世界へのメッセージであり、

米ソ冷戦終結を決定づける
大きな一歩となりました。

2. ペレストロイカ(立て直し)

ゴルバチョフは、

経済改革

行政改革

政治改革

をまとめて**ペレストロイカ(再建・立て直し)**と呼びました。

目的は、

「社会主義を捨てることではなく、
社会主義を改革して立て直すこと」
でした。

3. グラスノスチ(情報公開)

同時に進めたのが
**グラスノスチ(情報公開・公開性)**です。

それまで隠されていた

政府の失敗

スターリン時代の粛清

チェルノブイリ事故

なども公表されるようになり、

国民の知る権利

言論の自由

報道の自由

が大きく広がりました。

4. ロックが民主化を後押し

キノーのリーダー、ヴィクトル・ツォイが歌った代表曲**「変化を(Перемен!)」**は、

「私たちは変化を求めている」

という若者たちの思いを象徴する歌となりました。

この曲は民主化を願う人々
の「自由への賛歌」として広まりました。

5. 外交で実現した成果

ゴルバチョフ政権では、

中距離核戦力全廃条約締結

ソ連軍のアフガニスタン撤退

東欧諸国への軍事介入をやめる方針

などが進められました。

これらは東欧革命やベルリンの壁崩壊にもつながり、
冷戦終結への流れを加速させました。

6. 自由選挙と予想外の結果

ゴルバチョフは自由選挙を認めました。

しかしその結果、

共産党への批判

各共和国の独立運動

ソ連解体を求める声

が一気に高まりました。

つまり、
民主化が進むほど、

ソ連そのものを維持すること
が難しくなったのです。

7. 大統領退任

1991年、ソ連は解体され、ゴルバチョフは大統領を辞任しました。

退任演説では、

「民主化を後戻りさせてはならない」
という趣旨を訴え、

改革の成果である自由を守ること
の重要性を強調しました。

歴史的な評価

ゴルバチョフが目指したのは、

社会主義を維持しながら民主化すること

軍事より国民生活を重視すること

情報公開と自由を広げること

米ソ対立を終わらせること

でした。

一方で、その改革はソ連という国家の求心力を弱める結果にもなり、

**「冷戦を平和裏に終結させた指導者」
と高く評価される一方、

「ソ連崩壊を招いた指導者」
と批判されることもあります。**

そのため、現在でも歴史家の間で評価が分かれる人物です。